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2023/01/11

効率化されたZ世代のパートナー探し

効率化されたZ世代のパートナー探し

突然ですが、皆さんが恋人や結婚相手などパートナーとなる人に求めることは何ですか?もしくは、かつてパートナーとなる人の条件として求めたことは何ですか?やさしいこと?背が高いこと?容姿?学歴?家柄?その人や、その時の状況、その時代により求めることは異なったことだと思います。では、それをパートナーに確認するあるいは確認したタイミングはいつでしょうか? 今回は、私の経験をもとにZ世代のパートナー探しについて考えていきたいと思います。 Z世代のパートナー探しアイテムの1つに、マッチングアプリがあります。マッチングアプリはネット上(オンライン)の出会いから実際(リアル)の出会いに繋げられるサービスのアプリで、ビジネスやペットの里親探しなど様々な出会いの場になっており恋愛におけるパートナー探しでも活用されることが増えてきているサービスです。私自身もアプリの利用経験があり、私の周りの友人もパートナーとの出会いはマッチングアプリだったという話が少なくありません。私の感覚ではありますが友人の半数以上がマッチングアプリ経験者ではないでしょうか。 アプリが流行り始めた要因の一つとして、コロナ禍で出会いの場が失われたこととが考えられます。コロナの流行と共に社会人になった私は、驚くほど新しい出会いの場が少なくなりました。習い事やスポーツジムなどで共通の趣味を持つ人が集まることもなく、いわゆる「合コン」などもほどんどありませんでした。 けれど、マッチングアプリが流行り始めた要因としてもっと大きいことは、最初から価値観の合う人と出会えるという効率の良さがあることだと思っています。マッチングアプリで知り合った場合、まったく知らない者同士であるため、お付き合いをする前に割り切って「理想とするライフプラン」や「価値観」を確認することがしやすいのです。 例えば、結婚したいが子どものいない家庭を持ちたいと思っていたとします。マッチングアプリで初めて会った人であれば、「なぜマッチングアプリを利用したのですか?」や「将来どんな家庭を持ちたいのですか?」などを会ったその日に聞くことができます。けれども、もし友人から紹介された人であれば「私は子どものいる生活ではなく、あなたとずっと2人で生活したいのだけど、どう?」という話を紹介されたその日にすることは少し難しいように感じます。そして、長くお付き合いをした末に「いや、僕は絶対に孫を親に見せるんだ!」などと言われたらライフプランは我慢するか、相手と折り合いをつける努力が必要となってきてしまいます。そして、このことは相手との余計な衝突を避けることにもつながります。初めから自分の価値観と一致する人、価値観を受け入れてくれる人をパートナー候補とできるのです。 ■私の価値観■パートナーには価値観や理想とするライフプランが一致することを求める。それを出会った直後に確認することで、より有意義に二人の時間を費やして過ごしたい。 ミレニアム世代(アラフォー)/岡本私がパートナーにかつて求めたことは、その時の時間を一緒に楽しめること、一緒に時間を作り上げていけることでした。周りでも良く「笑いのツボが一緒」などもパートナーに求めることとして、聞いたような気もします。私たちの時代は、結婚に対する判断軸は「家」ではなく「自分」へと移り行き、女性も結婚しても出産しても働くことが急に増え始め、だからこそライフプランも手探りでした。また10代後半~20代にかけてアメリカの同時多発テロ、リーマンショック、震災など、「今まで通り」が立ち行かなくなる事態が簡単に起こってしまうということを経験し、より一層、変化する時代に対応するべく、その時々で自分で考え、親の世代が描いていた「幸せ」とは違う形の、自分なりの「幸せ」を考え選び取っていく世代だったのかもしれません。 今の人々は更に自分軸をはっきりと持っており、多様性といわれる時代において他者との違いや自己理解ができており、ライフプランを描くこともできています。そんなZ世代の人たちが活躍する社会は、どう変わっていくのか。ゆっくり体験していきたいと思います。 Hanako世代(還暦前)広野ここ最近、結婚式を挙げるカップルの半数が「マッチングアプリ」で知り合っている、という事実を聞いたばかりで、Z世代の二神からこのコラムが送られてきた。その事実を裏付ける理由が書かれていて、納得した。彼女の「価値観やライフプランの理想の合う人」を結婚相手に選ぶべきという主張には、全く異論はなく、本当にその通りだと思う。そして、そこに「最初からそういう人と出会える効率の良さ」や、おそらく合わない人に対して断るといった「やりたくないことは徹底的に省く」Z世代の生き方に、「つくづく時代は変わったな」と思う。我々の時代は、「三高」という言葉も流行っていて、「高身長」「高学歴」「高収入」の相手(ここでいう場合の対象は男性だが)をいかに探すか、ということに主眼が置かれていた。女性たちは、そういう男性がいそうな有名大学のサークルに入ったり、大企業に就職したりした。だから、4年生大学を卒業するより、「お嬢様」イメージの強い「短大」を卒業している方が、この目的に対しては、数倍有利だった。「自分軸」とか「将来のライフプランを描く」なんてことは、あまり考えていなかったのではないだろうか。女性は家にいることが当たり前で、もしも仕事を続けようものなら「家事や育児を完璧に(夫に負担をかけないように)こなしてから」というのが条件だった。女性の人生は男性(の年収)に左右すると考えられていた時代なのかもしれない。きっと男性も生きづらかったに違いない。さて、話がちょっと違う方向にいったが、我々の時代には、「恋愛結婚」か「お見合い結婚」か?という話題も多くのぼっていた。少女漫画を読んで育った私は、「恋愛結婚」しか考えられず、「愛があれば・・・」という夢見る夢子ちゃんだった。でも、年を重ねるうちに「お見合い」なるものも経験しておけばよかったな、と思うようにもなった。それは、結婚となると、「事前にある程度お互いのことを知った上で、しかもお互いの家が納得した上」での方が良いのかも?と思えたからだ。究極は、この「お見合い」の発展形が今のマッチングアプリではないかと思うが、いかがだろうか。我々の時代の「お見合い」は、「(世話好きの)人」を介して、行われ、「家同士のマッチング」のイメージは強かった。今は、時代とともに形を変え、「お見合い」のよい部分は残っているのかもしれない。実はこういうアプリが出始めたときは、価値を理解できていなかった私だけど、今は、男性も女性も、自分を偽ることなく、ありのままの自分の価値観を事前にさらけ出し合い、理解した上でお付き合いを始めるというのは、きっと着実な結婚生活につながっていくのではないか?と、Z世代の子たちをちょっぴり羨ましく思いながら、見守りたいと思っている。

2022/12/28

「自分らしく生きる」とは~フルマラソンを経験した今の気持ち~

「自分らしく生きる」とは~フルマラソンを経験した今の気持ち~

最近SNSやYouTubeをみていても「自分らしく」という言葉をよく聞きます。それってどういうこと?とモヤモヤしていた中、フルマラソンの体験が私の中で「自分らしく」を解釈できるきっかけになりました。 先日上司に誘われ人生で初めてのフルマラソンに参加しました。もともと走ることに対しては苦に思わないタイプですが、さすがに「フルマラソンはちょっとキツそう・・・」という気持ちが40%くらいありました。今の部署に異動してあっという間に1年が過ぎ、今は週5日仕事と家の往復の日々。自分の刺激になる何かを始めたい!自分ならではの何かを始めたい!と思い挑戦してみることにしました。練習を進める中、「スタート直後は飛ばす人もいるけど、周りに流されずに自分のペースで走ることが大切!」と上司からのアドバイス。練習のためにエントリーしたハーフマラソンではアドバイスをもらっていたにもかかわらず、周りの速さに流されてしまい、途中から失速するという大失態を起こしました。そんな不安な気持ちを持ちながらフルマラソン当日。寒いけど大丈夫かな、走り切れるのかな・・・などの言葉で頭の中はいっぱい。走り始めると、「頑張ってね!」と応援してくださる方々や、会社の先輩や友人の応援もあり、何とか完走することができました。完走出来た一番の理由は、自分のペースを保って走れたからだと思います。ハーフマラソンの失敗から学び、自分のペースを保つことを意識して走りました。今回走ってみて「自分のペースを保つこと」は「自分らしくいること」と繋がっていることに気が付きました。「誰かのペースに合わせることは、誰かが決めた道を進むこと。考えずに進めてラクだけど、あとからついていけなくなることがある。自分のペースを保つことは、“自分らしい道筋”を立てるということ」自分らしくってなんだろうとモヤモヤしていたことが、フルマラソンを走った経験から、腑に落ちてすっきりしました。私にとってフルマラソンは「達成感が得られ、自分らしくいられる時間を体感できる時間」また走りたいと思います。次回の大会は3月です。それまでに練習もして自信をつけていきたいです。(岸本 麻里) ~フルマラソンを通じて学んだこと~「自分らしく」いるためには、自分のぺースを知ることが大切。 終盤の厳しい上り坂では、たまたま並んで走っていたおじさまとおしゃべりしながら、しかし、歩くことなく登り切ったそうだ。そんな頑張り屋の彼女が、フルマラソン完走後のとある日の社内ミーティングでスッキリとした表情で言った、「自分のペースを保つということは、自分らしくいるということなんだと思った」という言葉。素晴らしい気づきを得たんだな、と感心した。多様性が大切にされる社会とは、1人1人が自分らしさと向き合う社会でもある。「自分らしくあること」を体感したことで、彼女はきっと、自分以外の周囲の人たちの「その人らしさ」も自然に受け止められるようになっていくことだろう。若い人たちがすくすく、ぐんぐんと音を立てながら成長していく場に立ち会えるのは、ハナコにとって大きなしあわせでもあるのです。(奥西 有美)

2022/11/08

結婚式(冠婚葬祭)の変化から今を見る

結婚式(冠婚葬祭)の変化から今を見る

二神(Z世代前半/24歳) 先日友人(新郎28歳、新婦24歳)の結婚式に参加し、幸せのおすそ分けを頂いてきました。コロナ感染が落ち着きやっと挙げることができた結婚式。それは友人夫婦のワクワクしてゲストに楽しんでもらいたいという思いがつまった楽しくて心温まる式でした。 私にとって今回が初めて参列した結婚式ではなく、18年前、私が小学2年生の時に叔父夫婦の結婚式に参列したことがあります。幼いながらに感じたことと今回の結婚式で感じたことを比較すると時代の変化を感じます。 18年前(2004年)の結婚式は大きなホテルの会場で、色とりどり複数回のお色直し、キャンドルサービス、に豪華なケーキ入刀。「キラキラしてプリンセスみたいですてき!」と憧れの気持ちを持ちました。そういえば…結婚式前に親戚の集まり時には私の祖母が「お嫁ちゃんのために大きい会場にしんさい」「お嫁ちゃんのために、お嫁ちゃんのために」と叔父に言っていたのを覚えています 今回参加した(2022年)結婚式は新郎と新郎の友人による各テーブルの参列者皆とふれあいながら漫才を披露したり、オープンキッチンで2人が振る舞う料理パフォーマンスがあったり参列者を楽しませる演出が盛りだくさんでした。 18年前(2004年)の式は2人(新郎新婦)が主役でこれぞ結婚式!お嫁さんの晴れ舞台!という皆が2人を囲む印象。 今回の式(2022年)は2人が参列者をおもてなしし、「2人らしさ」が感じられるユーモアのある式だったなと感じました。「多様化」が受け入れられる現代に結婚式も変化していると感じました。また、コロナの影響で「少人数婚」や「フォトウェディング」、婚姻届の提出のみの「ナシ婚」など多様化が急速に進んだのではないでしょうか。 私も結婚式に憧れがあり、いつかできたらいいな(いつになることやら)と思っているのですが、パーティーとして気兼ねなく参加しやすく楽しんでもらえる結婚式をしたいです。例えば…①ドレスコードはリラックスして参加できるようにテーマを「リゾート風」、マストアイテムを「デニム」としてカジュアルに。②たくさんの人に囲まれたいので、来られない人には当日と同じお料理のキットをお送りし、オンラインで参加してもらう。③個性を出せる演出としてビールが好きなので未来の旦那様にビールサーバーを担いでもらいキャンドルサービスの代わりにビールを注いでまわる。このような結婚式が今の理想です。 稲垣(ミレニアル世代/アラフォー) 10年ほど前の私の時代の結婚式は“「あなたらしさ」に出会える”をテーマとしたオリジナルウエディングをプロデュースするCRAZY WEDDINGが創業された頃、今思えば形式のある定番の式に違和感を感じる人、声を出す人、行動する人が出てきた過渡期のように感じます。結婚式をするという形式ばった目的ではなく、なぜ、なんのために私たちは結婚式をするのか、そのためにはどういったものが良いのか。を考えオリジナルな結婚式を挙げだした先駆者的花嫁花婿さんが登場しだした時代です。今は特に、自分の違和感に目を向ける時代、自分はどうしたいかを問う時代のように感じます。それによって伝統的な式や、自分らしいオリジナルな式が当たり前のように選べる時代になったのだと感じました。 どんな消費行動でもただそれを手に入れるではなく、何のためにそれを手に入れるか、背景が大切な時代となっていますが、このような冠婚葬祭でも当たり前を疑うこと問い直すことが出来る時代になったのだと感じ個人的にはとてもワクワクしてしまいます。 小田(ハナコ世代/アラカン) 遥か昔に感じるが、オンライン(SNSなど)でのつながりがない時代、結婚式はオフラインでみんなに「結婚報告」「新郎新婦のお披露目」をするイベントであった。新郎新婦は壇上の席に飾られたり、ゴンドラに乗って登場したり、「見ていただくこと(現場での映え)」を重視した演出が多く、少しでも多くの人に報告したいから規模も大きくなりがち。そこに集まる人々にとっては、疎遠になっていた友人との再会や、久しぶりに顔を合わせる親戚同士での近況報告など、情報を交換する場としての期待もあったと思う。 今はどうか?普段からオンラインで気軽にコミュニケーションを取り、プライベートもSNSで公開し、会わずとも互いのことをわかり合っている状態だ。そんな中だからこそ、結婚式をする、しない、も含め、結婚式に求める価値も変わってきていると思う。このコラムを読んで感じたのは、結婚式は昔のように「情報を伝え、情報を交換する」が求められているのではなく、オフラインならではの「リアルだからこそのつながりや距離感」を大切にし、同じ空間で共に過ごす実感をより強く感じるものにしたいというニーズだ。もしかすると今後はキャンプ場なども楽しい結婚式の場になるかもしれないなぁ・・・などと想像が膨らむ。

2022/10/20

居酒屋選びから見えた価値観

居酒屋選びから見えた価値観

最近若者のお酒離れと言われていますが、私はそんなことはなく、お酒を飲むのが大好きです。その中でもビールが好きで、それにお刺身、煮魚、おでん…はい、居酒屋にはとってもお世話になっています。さて、そんな私が飲みに行く場所を選ぶ方法について今回は書いてみたいと思います。 お店を調べるとき、まずインスタで「梅田グルメ」と検索します。そして、出てきたたくさんの投稿から「梅田グルメまとめ」と書かれたもので、少し古いニオイのする写真をタップします。つまり、料理だけがドアップで撮られている、フィルターなんて掛かっていない写真、ちょっと古そうなおしゃれじゃないフォントが使われている写真です。 その写真の投稿者のアカウントに進むと、「大阪グルメを追い求めて15年」や「2006年から記録」などと書かれており、投稿者が30代後半~50代であろうことがわかります。こういった人の投稿には壁に手書きのメニューが貼ってあるような昔ながらのお店や、だし巻き卵やポテサラ、シシャモなどのザ・居酒屋メニューがたくさん載っています。これらの中から、敷居の高くなさそうな、つまり私のお財布にも優しそうなお店を選びます。特に「昔ながら」「大衆的」というものが多いです。 なぜ、インスタを使うのか。それは、写真によって料理やお店の雰囲気が、パッと視覚的に分かり、知りたい情報を簡単に得ることができるからです。予約サイトのようにお店側が提供している写真だけだと、料理やお店のイメージがつきにくいですが、インスタのように実際にお店に行った人の投稿だと、リアルな写真でより信頼感があります。 なぜ、選ぶお店が「インスタ映え」ではなく「昔ながら」「大衆的」なのか。1つ目の理由はおいしいビールが飲めるからです。兎にも角にも、こういったお店の料理はビールとよく合います!地元の人に愛されている、昔から変わらない料理はビールの美味しさを引き立て、私を満足させてくれます。2つ目は、気を張らず心が休まるからです。こういったお店は客層が30代から60代の方々が多い印象で、地元の人がわいわいお酒を飲んでいます。隣の知らないご夫婦や少し年上のおじさまとも仲良くなれたり、「村上はいつ56号を打つんかね?」といった会話に入り込んでいったりもします。 年が離れているにも関わらず、話し相手になってくれることに人のあたたかさを感じます。そんな居酒屋空間でのひとときが、みんなとワイワイ飲むことが好きな私にとっては落ち着ける時間となっているのです。 ~お店選びのプロセスで見つけた、わたしの価値キーワード~居酒屋には、私を癒してくれる「ビールのおいしさ」と「人のあたたかさ」を求める。(岸本麻里) アナログ回帰と言われるZ世代。昭和世代の発信がZ世代の情報源となり、昔ながらの居酒屋へと導く循環がなんとも興味深い。彼女と接していると、有り余る情報の中を軽やかに渡りながら情報をかぎ分けている印象がある。SNSでピンとくる情報を見つけ、直感的にフォルダに分けておき、ほしいときにいつでもサクッと取り出す。「映え」や「バズり」情報にアンテナを張りつつも、右へ左へと振り回されることはなく、「私はこう」と受け止めている。家族と仲が良く、帰省したらおじいちゃんとお酒を飲む時間を大切にしている彼女にとって、気を張らずワイワイ過ごせる、「昭和感」漂う居酒屋がお気に入り空間なのも、とても自然な気がする。肩ひじ張らず、「自分尺度」で居心地いいと感じる世界に自然と溶け込んでいく軽やかさ。この世代の、とても素敵な「らしさ」だと感じる。(奥西有美) 最近のお気に入り

2022/08/31

買い物プロセスで見つけた、わたしの価値観

買い物プロセスで見つけた、わたしの価値観

私が買おうか迷っていた「吸水ショーツ」※「吸水ショーツ」とは、ナプキンやタンポンを使う頻度を減らしてくれる生理用パンツのことです。 現在はUNIQLOが商品化したことでみんなの目に触れるようにもなり、一般的な商品として認知されていますが、まだSNSでしか目にしなかった頃、「吸水ショーツ」を購入するかどうかを迷ったプロセスが今の時代ならではの買い方のように感じたので、その時のことを綴ってみたいと思います。 私は、月に一回女の子の日が来るたびに、生理用品をつけることが苦痛で、かぶれやかゆみに悩まされたり、荷物が増えるため、生理用品自体を持ち運びたくない気持ちがあります。 そんな時インスタグラムで吸水ショーツの広告を見かけ「生理用品の使用頻度が減ってとても便利そう!」と心が動きました。一方で、「手で洗うのが面倒」「漏れが心配」など取り入れるには少し勇気が必要な情報も目に留まりました。 その後も悩みながら吸水ショーツについて調べていくと、「ナプキンには化学物質が使われているものもある」ということを知り、体にとって良くないモノなのではないかと不安になりました。デリケートな部分に直接触れるものなので心配です。そして使用後にはゴミも出るので、身体にも環境にもよくないことを知り、ナプキンの使用回数を減らしていきたい気持ちが大きくなりました。 私は大学時代に環境について学んだことがきっかけで環境にいいものを選びたいと思うようになりました。今回、吸水ショーツを買うかどうかを悩んだことも、自分の生活にフィットしていくかどうか調べていく中で、「この商品を使うほうが地球環境に良い」と思えたことが購入を決めた理由となりました。ペットボトルを捨てるのが嫌で水筒を買ったときや、蜜ろうラップを買ったときも同じような気持ちになったことを思い出します。 ―買い物プロセスで見つけた、わたしの価値観―私だけの心地よさだけでなく、私と地球環境の両方に心地よいことに価値を感じる(岸本麻里) 彼女たちの世代は学生時代から地球環境保全について学んでおり、「地球に優しいことをしたい」という想いが強いと感じる。また、不足のない時代に育ったことも「応援消費」に代表される「他者への貢献」や「他者の幸せ」を喜びと感じることに影響を与えているようだ。 今回も、自分にとってのベネフィットだけでなく、それが地球にとっても優しいかどうかが重要なファクターとなっている。吸水ショーツを発売したユニクロは、そんな世代の価値観に寄り添うことを意識しているのだろう。今後は、様々なメジャーブランドがZ世代の価値観に応えていくことで、経済成長と環境改善の両立が実現されていくことに期待したい。(小田哲也)

2022/08/23

宝塚歌劇を通して学んだ「自分のモノサシ」

宝塚歌劇を通して学んだ「自分のモノサシ」

先日、念願の宝塚歌劇を観劇しに行ってきました。宝塚歌劇は母から「感激するから1度は見たほうが良い!」と幼いころから聞いており、兵庫県への転勤を言われたときには、「不安だな~」というよりも先に「宝塚歌劇のとこですね!」と言ってしまったのを覚えています。転勤して来て早々に広野さんに宝塚歌劇を見てみたいとお話しすると、快く連れて行ってくれました。 華やかな舞台、きれいな歌声、初めて出会うたくさんの魅力に感動を覚えました。しかし今回はそれらの魅力ではなく、歌劇の内容について私自身と重ねて感じたことを書ければと思います。 公演は『巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~』パリで人気を博したピアニスト、フランツ・リスト。本当にしたいことは何なのか、居場所がなくなり逃げ出した。作られた人気ではなく実力を認めさせたい。実力が認められると地位や名誉に気を取られる。支えてくれた人が見えなくなるが、最後には本当にするべきことと本当の愛に気付く…という内容でした。 私自身と重ねると、私が望んでいることは、忙しくても楽しく仕事したいということと、認められたいということ。20周年フォーラムの動画でも「いてよかった、と言われたい」とコメントしました。しっかりみんなの一部になりたい!ありがとうと言われたい!認められたい!しかし、そう言ってもらえる自分かと聞かれると胸を張ることはできません。できることも少ないし。何を求められているのだろう。認められるにはどうしたらいいのだろう。「自分」というものがフラフラしているなと気付き、たくさんのモヤモヤが浮かんできました。理想とは遠く、悩みがたくさんあり、その解決策もまだ探している状態です。 アイ・キューブでのマーケティングを通しての気付きしかしアイ・キューブでの仕事をしているなかで気付いたことがあります。調査の最初の段階で必ず「仮説」を立てます。どんな回答やデータが来るか分からないですが、この「仮説」がモノサシになっていて、データとこのモノサシがどれだけずれているのだろうと分析していきます。最初の段階ではまだ何も分からない調査は、今の何も分からない私と一緒だなと思いました。これまではフラフラしている自分をそのままにしていましたが転勤してきて半年たった今、自分のモノサシで自分を自分で認められるように努めています。 すると次はこうしてみよう、前はモノサシとこれだけズレてたから今回はズレが小さいぞ、よくできた私!と少しずつアイ・キューブでの私を作っていっています。時には少し甘めな評価の時もありますが、誰かに認めてもらおうとしてその反応がうかがえずにモヤモヤしていたのが、自分で自分のモノサシで計ることができるようになってきました。フランツ・リストも最初は観客からの人気・評価に注目していましたが、最後には自分の基準、モノサシで人生を決めていくといった内容でした。 仕事の内容やできることよりも、仕事に取り組む私自身について考えさせられた宝塚歌劇の公演でした。 他人からの評価に一喜一憂していたが、自分のモノサシを持ったことでモヤモヤが無くなった。自分のモノサシがあるとやるべきこと、やってみたいことが見えてくる。(二神奈津実) 転勤してきた時に「宝塚歌劇を1度は見たい!」と目を輝かせていたので「それならば」とマーケッターとしても体験になるし、私としては喜んでもらえたら嬉しいという気持ちだった。このコラムを読んで、ここまで深くストーリーに対して自分なりに考えていたんだと少し驚いた。先日、大学生達と話していても「自分とは何者か」「自分の使命は何か」を見つけようともがいていると感じたが、私達(Hanako世代)が20代の頃って、ここまで「自分軸」について考えただろうか。Z世代の特徴として「ブランドにこだわらず、自分が気に入ったものにお金を使う」ということが言われるが、我々はその逆で、雑誌やメディアが取り上げる(作り上げる)「流行」や「ブランド」を追いかけていた。で、みんなが同じ方向を向いて走っていた。それでよかった。今はネットやSNSが発達し、Z世代たちは私たちの時とは比べ物にならない莫大な情報量の中から「選ぶ」ことをしなければならない。就活などにおいても同様だ。多くの選択肢があるということは幸せな気もするが、その分負担が大きいのではないかと思う。二神がいうように「自分のモノサシ」を持たなければ大きな渦に飲み込まれて自分の居場所を見失ってしまうのかもしれない。私なんて「自分のモノサシ」を持たなければ…と思い至ったのは50歳を前にしてからだった気がする。「自分軸」探しの時期にギャップがあるんだな、なんてことを考えるきっかけになった「宝塚歌劇」だった。私はあの羽根の大きさへの感動感も共有したかったけどね・・・。(広野)

2022/07/02

「仕事とプライベートの架け橋」

「仕事とプライベートの架け橋」

Z世代、ミレニアル世代、ハナコ世代3世代の対話から気づいた 「仕事とプライベートの架け橋」 Z世代の私にとって、もっと仕事を楽しくするために。もっと仕事仲間からの信頼を深めるためのツール先日、先輩と同期と私の3人で「飲み会」に行ってきました。会社全体の飲み会は今までに何度か参加していましたが、少人数で場を設けるのは初めてでした。後日、ランチ時にそのことを3世代3人で話をする中で、会社全体の飲み会(以後「大人数の飲み会」)とは違った「少人数の飲み会」ならではの楽しさや気づきを、具体的に発見できました。 ある日のランチ中に話した「飲みニケーション」についてのグラレコ(稲垣奈美) 「会社の人との飲み会ってどう?」という私への質問対話していく中で「仕事とプライベートの架け橋」という答えが出てきました。そのポイントとなったのが「大人数の飲み会」と「少人数の飲み会」の違いです。時勢柄機会はなかなかないですが、大人数の飲み会では、普段接点の少ない課長や部長と話すことができ、私の目線からでは見えない、会社の情報や目標などを聞くことができる良さがあります。が、「呼び出しベルの近くに座ろう」「グラスの飲み物、減っていないか?」など、気配りの面で「タスク感」を感じ仕事の延長線上で参加している感覚が正直な気持ちです。 一方、少人数の飲み会では、仕事もプライベートも5:5で話をしています。大人数の飲み会では「会社のことが分かる」メリットが、こちらでは「人となりが分かる」になります。「二神さんにはこんなイメージで、こんなファッション似合いそう!」というガールズトークから、私は、「仕事でこんな服を着ていけばいいのか!」と発見がありました。先輩からの提案でも指導でも、会社で言われるより素直に受け止めることができました。 また、時代の流れによる発見もありました。コロナ入社1年目の私にとって私たちの社会人生活はコロナ生活が当たり前です。コロナ前と後を比較すると職場でのコミュニケーションはどんどんスリムに・・・。例えば会議。以前は開始前に会議室に集まってアイスブレークのような会話を行ったり、会議室からデスクまで一緒に歩きながら議題に関しての意見を交わしたりしたようです。しかし私が知る会議は、オンラインで参加し、ミュート状態。会議が終われば強制的に終了=解散。画面上の2Dでしか皆さんのヒトとなりを想像できません。しかしリアルで空間を共有していると、例えばコピー機や給湯室の使い方や、何気ない時間の会話などからその人はこんな人なのかな、という判断材料が多くなります。「以前より作業は効率化されているが、人と人の円滑なやり取りがしにくくなっている」効率化でそぎ落とされた時間に人と人を緩やかにつなぐ何かがあったのかもしれません。今はそれを意識的につくらないと叶わないものになっているようです。 「仕事とプライベートの架け橋」もっと仕事を楽しくするために。もっと仕事仲間からの信頼を深めるために私は「飲み会」をツールにしていたのだと気づきました。他の方はカフェ活だったり方法は様々かもしれません。 オンラインでいつでもどこにいてもコミュニケーションを取れますが、私はシンプル化された2Dの情報だけでなく、共有した日々の生活からヒトとなりを知っていき、立体感のある関係性を築き、より充実したメンバーの関係性の中で仕事がしたいと感じました。(二神 奈津実) まず、思ったのは、「お酒、飲むんだ!飲み会ってアリなんだ」ということ。若者のアルコール離れが言われて久しい中、「飲み」自体が身近にないZ世代には、プライベートなものであっても「会社の人との飲み会=義務」かな、という気がして、声をかけるのはためらっていた。それだけに、会社の飲み会も、「仕事のことで知らなかった話を聞けたりして刺激をもらえて、もっと頑張ろう!という気持ちになるんです!」という言葉はとても新鮮だった。企業様の新人研修をさせて頂くことがあるが、Z世代は「真面目、前向き、協力的!」と感じることが多く、それに通じるものがあった。そして、何よりの気づきは、「コロナ前/withコロナ」と当たり前のようにとらえがちな自分の感覚。大学卒業直前にコロナ禍がやってきた彼女たちにとっては、「withコロナ=当たり前の社会人生活」。対比すべき「コロナ前のビジネスパーソンライフ」は存在しないのだ。職場で何気なく見聞きすることからの気づき、会議室への移動中のちょっとした会話、ランチタイムの雑談で知らなかった一面を知れてほっこりするひと時…、そんな「余白」の時間が奪われてしまっている生活そのものが、Z世代の「社会人の日常」なのだと痛感した。なっちゃんにとっては、お酒が人と人とをつなぐ、居心地のよい窓口。仕事だけではわからないその人らしさを知ることで、今までよりちょっと心地よい空間が生まれたり、仕事がサクサク進んだり、尋ねやすくなったり伝えやすくなったり…。 Z世代にとって心地よい「つながり方」のバリエーションをキャッチしてきっかけを見つけていけば、お互いに「リアルなn=1」に触れられるはず。まずは、目の前の大きな仕事がひと段落したら、なっちゃんと飲みに行くことにしよう(笑)(奥西有美)

2022/05/31

わたしの推し活について

わたしの推し活について

このページは、アイ・キューブのZ世代とミレニアル世代、ハナコ世代、あらゆる世代の価値観を覗くことができるページです。 最近、色んなところでよく聞くようになった「推し活」という言葉をご存知でしょうか。推し活とは "アイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓を愛でたり応援したりする「推しを様々な形で応援する活動」のこと。「推し活」は「オタ活」の一環でもあり、推し活をしている人は何かしらのオタクであることを自他ともに認めています。"出典:TRANS 「推し活」事情を学ぶ①推し活って何するの?編 https://www.trans.co.jp/column/goods/oshikatsu_study1/(2022/5/31)引用 この「推し活」、ささやかながら私もしているので、自分自身なぜそのような行動をするのかをよく考えてみました。ちなみに私の推しは某韓国男性アイドルで、推し活歴はもう10年ほどになります。 はじめの頃の推し活はコンサートに行きグッズを買い、同じファンの方が作ったグッズを部屋に飾るということだけでした。推し(アイドル)を見て「かっこいい」、「かわいい」などと、ただ興奮することが私にとっての推し活でした。そうしているうちにだんだん彼にハマっていき、推し活が変化していきます。ラジオの専用アプリをスマホに入れ、毎日2時間推し(彼)が出演しているラジオの生中継をひたすら見て聞いて(もちろん、日本語ではなく韓国語なので、私は一切理解できません)、話している姿をスクリーンショットするようになりました。この話の内容がわからない一見無意味な2時間は、私にとってはオンタイムで「推しと同じ時間を過ごせるという」大きな価値ある2時間となっていたのです。 そして、今ではTwitterでマスクをつけていてほとんど顔が分からない男性3人(某韓国アイドル)の写真を見ることも私の「推し活」となっています。仕事で落ち込むことがあった帰り道、Twitterを開くと推し(彼)のツイートに写真が載っていました。それは、推し(彼)とそのグループのメンバーが日本ツアーに来たときに、プライベートで観光していた様子を自撮りした写真で、マスクもしているため本人たちをよく知っている人じゃないと誰なのか分からないような写真でした。それでも私にとっては、「あぁ今日も(推しは)素敵だな・・・」、と一瞬で落ち込んだことを忘れられるものなのです。それは、彼が韓国人でありながら私が住んでいる日本を、ツイートしてくれているということ、メンバー同士の仲良しな様子を感じられるということ、ステージの上のキラキラしている姿だけでなくプライベートな一面を見せてくれていることなどから、推し(彼)を身近に感じることができ、私の「推し活」が10年も続いている理由だと思います。心の支えであり、元気の源となっている「推し活」は、今の私にとって欠かせない生活必需品なのです。(岸本麻里) Z世代と「推し活」の話をしていて感じたのは、推し(アイドル)との距離の近さだ。SNSで友達のようにつながり、時にはプライベートな行動やシーンも共有できることで、推し(アイドル)の人格を自分なりに感じ取ることで「主観的に好き」といえる存在になっているようだ。アイドルが楽曲やグッズによる収益を上げるためには、「応援してくれるファンを増やすこと」というのは当たり前の話だが、クライアント様とはサスティナブルな経営を実現する企業も同じだという話をすることが多い。優れた製品やサービスはもちろん重要ではあるが、今の時代はそのほとんどが満足できるレベルに達しており、その中で選ばれるためには「誰から買うのか」が大切になっている。選ばれるためには、主観的に「応援したい」という気持ちを持ってもらうことが重要であり、特にZ世代をターゲットとした場合には最も重要な要件になると感じる。「推し活」で大切なのは人格や人間性に共感できることだ。改めて“公器”といわれる企業においても “私(人格や人間性)”が重要であることを実感した。また、Z世代との対話からは、これまでの知見に囚われず(私のことだが)、Z世代とタッグを組んで(Z世代の力を借りて)、彼、彼女たちの目線で共感づくりをしなければならないという気づきも得られた。(小田哲也)

2022/05/09

ガチャガチャからチラリと見えたZ世代(私)の価値観

ガチャガチャからチラリと見えたZ世代(私)の価値観

このページは、アイ・キューブのZ世代とミレニアル世代、ハナコ世代、あらゆる世代の価値観を覗くことができるページです。(「ガチャ」の名称はタカラトミーアーツの登録商標であり、「ガチャポン」「ガチャガチャ」はバンダイの登録商標です。今回は、馴染みのあるガチャガチャで記載します。) 突然ですが・・・ガチャガチャは皆さんにとってどんな存在ですか?小さい子どもが好きなもの?そんなイメージでしょうか?実は24歳の私、ガチャガチャが今も大好きです。それを目的に友人と遊ぶこともあります。私の中でガチャガチャは映画のように重くはなくて(映画も好きです)、コンビニでわくわくと新製品を探しにいくような気軽感がありながらも、それよりもっと楽しい空間であり体験だと感じています。たくさんのガチャガチャの箱の中から、自分の直観で「これ欲しい!」と思わず心が動く箱を探し、その中から更に、どの子が私の下に来てくれるのか、300円を入れて(最近は500円の強者もいたりします)ドキドキしながら(レバー)を回す。「・・・。あぁ、あなたか・・・実はあの子がよかったのに・・・」のような、この箱の中から「どれかは出ることがわかっている」でも「何がでてくるか分からない」、自分で選べないわくわくとスリルを体験することができます。こんなワクワク感やスリルを気軽に味わえる体験は他にないんじゃないかな。と思っています。 家に居るガチャガチャたちにはそれぞれ出会いのストーリーがあって、例えば旅先の白川郷で歩いていた時に目が合ってときめいた「卵かけごはん」のガチャガチャ(なぜ、白川郷で卵かけごはんなのかは、私にもわかりません・・・。それがまたガチャガチャの魅力・・・)出会ったプロセスもしっかり心に刻まれているから私はその子たちを捨てることができません。 <白川郷で出会った卵かけごはんのガチャ> 誰かにとってはきっとガラクタでも、私にとってはワクワク感を求めて買ったモノで、数ある中から出会った、特別な子。価値や意味がしっかりあります。その子は単なるモノというだけでなく、私の大切な体験であり思い出です。だから他の人がこの子をモノとしてガラクタだと思っても関係ありません。同じモノでも、そのモノとどんな出会いをするかで関係がずいぶん変わるよなぁ・・・と、改めてモノとの体験や思い出の大切さに気づかされました。 ―ガチャガチャで見つけた私が思うZ世代の価値観―自分にとって価値や意味があるものなら共感を得られなくても良い。思い出が詰まっているモノは、そばに置いておきたい気持ちがある。 (岸本麻里) 本コラムを読んだHanako世代の感想コラム率直に言って、Hanako世代(別名、バブル世代)の私には、大人がハマるという、この「ガチャガチャ」の価値が全く理解できない・・・。子供のころ、「グリコのおまけ」(確か、男の子むきと女の子むきがあった。ああ、時代を感じる)の箱をちょっとだけワクワクしながら開いた覚えはある。(あくまでも「オマケ」だが)確かに、日本人はこうしたミニチュアは好きなのかもしれない、とは思う。そういえば、いっとき私の机の上のコップに座らせていた「フチ子さんシリーズ」はなかなかの出来だったなぁ。あれも、ガチャガチャで出てくるものだとあとで知った。とはいえ、今回、こうしてZ世代のメンバーの原稿を読んで、どうしても理解できないのは、「何が出てくるかわからなくて、一見ガラクタに見える(失敬!)モノにお金と時間をかけることだ。どうしても、「それってなんの役に立つの?」と思ってしまうし、旅の思い出として買うなら、そのモノのウンチク(旅先の土地との関係や歴史など)も語りたい。・・・・・って、私、今、「役に立つかどうか」をモノの判断基準に挙げてしまった!最近、「今の時代は、『役に立つもの』ではなく、『心を豊かにするもの』を開発しなければならない」などと、しょっちゅう口にしているのに・・・・。結局、そういうことか。Z世代の若者たちにとって、「役に立つ」「オマケでもらえる(つまり得する)」「人に自慢できる(ウンチクを語れる)」とかは、欲しくなるために必要な判断基準ではないんだね。育ってきた環境がこの違いを生んでいることは理解できる。今度、どこかで「ガチャガチャ」をしてみよう・・・得たもので、心が豊かになれるかどうか試してみたい。(広野郁子) 

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