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兵庫県立男女共同参画センター主催「多様な働き方応援シンポジウム」広野郁子 講演レポートvol.1

2015/12/24

形は違っても、変わらないのは「生活者」の視点

2015年12月2日、当社代表の広野郁子が、「多様な働き方応援シンポジウム」で講演しました。当日は、参加者約60名、働く女性や働きたいと思っている女性、経営者や企業の人事担当者、行政の方などが集いました。

兵庫県立男女共同参画センター川村貴子所長: 私は広野さんと、20年以上前にお会いしました。当時、神戸生活科学センターの嘱託職員を募集したのですが、すごいキャリアを持っている女性がたくさん応募され、驚きました。結婚や出産後退職し、専業主婦になったりアルバイトで働いていたりです。その時最終面接でお会いしたのが、広野さん。この人なら、ちゃんとした仕事ができるのではという直感がありました。

私共は、女性の起業を応援していますが、起業しても事業を継続するのは大変難しいです。広野さんがアイ・キューブを10年以上続けて来られたのは、素晴らしいと思います。人生の節目でどういう選択をしてきたかを、これからお聞きしたいと思います。

広野郁子: こんにちは。今日は良い機会をいただき、ありがとうございます。商品企画についてのセミナーをする事は時々あるのですが、今回は自分の事を話すので、少々緊張しています。

弊社は、生活感度の高いモニターを中心に、生活者の皆さんのお声を企業に届けるという事をしています。取引しているお客様は大手企業が多く、関わっている商品が全国で販売されるのを見るのは大きな喜びです。また、モニターさんも、在宅ながら自分が出した意見が反映されて、うれしく感じられるようです。

今日は男性も多いのでお伝えしたいのですが・・・実は、男性は仕事で忙しすぎるせいか、ちょっとした生活の事柄を知らないことがあるのです。主婦の普通の感覚を話したら驚かれたりして、その驚かれることに、こちらが驚くということがあります。

これは、私の秘書が作ったもので、私の感情の波を表しています。川村所長とお会いした面接の年、私は29歳。娘は2歳でした。今は娘は、25歳になりました。

振り返ると、いろいろな経験をしてきたな、と思います。採用試験に落とされた時、静岡に夫の転勤で引っ越すとき、わんわん泣きました。その後も、ライフスタイルが変わったり、母が昨年亡くなったり、父の介護が必要だったりと、本当にいろいろな事があります。

起業までの道のり

私が就職活動をしたのは、男女雇用均等法が施行される前年、新卒で入ったのはリクルートでした。私の母は、就職したら家を出るようにという主義だったのですが、当時は「女性は家から通う」事を条件にしている企業が多く、何社も落ちました。しかしリクルートは気にせず、「君は生命力がありそうだね。」と採用されました。

入社後、ダメダメ社員の私はまわりの真似をしている有様でした。二年目に、ひとつ上の先輩に言われたことが強烈で・・・「郁ちゃんはね、何でも60点だから駄目なの。少しずつ平均点以上でいるより、あるものは30点で、あるものは80点の方が良いのよ。」と。

しかし、自分が80点を取れる分野って、何だろう?と悩みました。制作や営業などいろいろ経験したのですが・・・。あるとき、不動産の情報に関する営業担当で、芦屋をうろうろしていました。飛び込み営業をする勇気もなく、見かけた不動産会社の電話番号をメモって帰りました。ところが上司に、「外で情報を取ってきた。」と意外にもほめられ、とてもうれしく思いました。自分の出来ることをやろうと、話すのが苦手だから聞くことに徹しました。会社の社長さんは話すのが好きな人が多く、「広野さんと話すと、考えがまとまる。」などと言われ、受注できるようになり、そのうちMVPを獲得するまでになりました。

ちょうどバブルが弾ける前で不動産の価格もあがり、不動産会社の人は若くても高級時計を身につけ、買う側の消費者はお金をためても不動産に手が届かない・・・企業側と消費者側の情報の差は大きいなと感じました。

企業と消費者の情報格差を埋める・・・それは、その後も、今でもやりたい事です。芦屋でうろうろして得たもの、現場に情報を拾いに行く事、今でもしており、社員にもしてほしいと言っていることです。

vol.2へ続く)

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